2012/01/01 (Sun) 初春

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あけましておめでとうございます。
たいせつなともだちへ、そして見守ってくださるすべての方々へ。
あなたがいるから、私は日々を送ることができます。ほんとうに、ありがとうございます。
2012年が、おだやかでやさしく、よろこびの多い年になりますように。
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ものごとをレゴのように進めるひとと、ジグソーパズルのように進めるひとがいる。私はジグソーパズルのほう。個人的な目標も、お仕事のあれこれも、最初にぱっと「できあがり図」が見えて、あとはただ、細かなピースを当てはめていくだけ。最初に見える「できあがり図」はひどくリアルだから、どんなにピースの数が多くても、似た色のピースばかりでも、気長に、気楽に進める。
ずっと、その「できあがり図」が見えない。何がしたいのか、どこに向かうのか。いろいろな気持ちの欠片が、うまくできなかったポーチド・エッグみたいに、ちぎれて、まぎれて、ふわふわと頼りなく漂ったままでいる。それを無理にことばにするのは止めようとおもっていた。どこに嵌めるのかもわからないうちに押しこんで、ピースの角をひしゃげさせるようなことはしたくなかった。
最近になって、これは「できあがり図」を決めないで歩く機会なのかもしれないと感じるようになった。「できあがり図」を持つと、じぶんのアタマが考える以上の絵はかけない。すっきりとまとまったものはできるかもしれないけれど、作為のない偶然だけが生む何かを取りこぼしてしまうかもしれない。
きょうは1度しかこない、この一瞬も1度しかこない。それを組み合わせて、積み重ねて、何ができるか見てみようとおもう。何かができるかもしれない、何もできないかもしれない、すばらしいものが生まれるかもしれない、どうしようもないものが生まれるかもしれない。それでいい。ふと目の前をみたときに、私の前には何があるだろう。
今年も一歩ずつあるいていきます。どうぞよろしくお願いいたします。
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2011/12/10 (Sat) もう窓を数えない

月食の日。Twitterのタイムラインを見ていたら、トレンドワードが「ベランダ、月蝕、肉眼、月見、月が欠けてる、真上、左下、お月」。感動しすぎてことばが文章になっていないひとみたいだけれど、みんなでお月見しているみたいでうれしかった。あたまの上にはおなじ月が見えていて、足の下にはおなじ地球があって、そのずっと、ずっと、ずっと向こうには同じ太陽があるのだろうなって、信じられる気がした。
2011/11/20 (Sun) おまえ

父はうまくことばが出ないので、話しかけたいひとに「おまえ」と呼びかけたあと目で語る。おとといレントゲン室にいっしょに入ったときは、私を見て「おまえ」といった。たぶん「被曝するからおまえは外に出ておけ」と伝えたかったのだとおもう。父親だなあ。
2011/10/31 (Mon) 撮る目

夏のあいだ、ほとんど写真を撮らないでいた。でも、最近またたのしく撮っている。涼しくなったのもある、秋の光がだいすきだというのもあるけれど、大きいのはiPhoneを持ったこと。毎日のなかで写真を撮るたのしさを思い出させてくれた。実際には撮らなくても、「撮る目」で世界を見ている。
2011/10/03 (Mon) よそ見、寄り道、回り道

通勤電車を途中で降りて、駅に向かう人混みを逆走。
車窓から見えた川辺の赤、やっぱり彼岸花だった。咲き終わる前に撮れてよかった。
全力疾走の毎日でも、よそ見、寄り道、回り道。