2008/08/10 (Sun) 『カンフーパンダ』
『崖の上のポニョ』で流れたトレイラーが気になって、気になってたまらず、『カンフーパンダ』を観てきました。2週連続で映画館なんて、何年ぶりだろう(しかも同じ六本木TOHOシネマズ。おもうつぼです)。
期待をうらぎらないチャーミングな映画でした。ジャッキー・チェンが監修したらしいアクション・シーンがとてもスピーディーで、かわいいだけでは終わらないキャラクターたちもいかにもDreamWorks。でも、いちばん記憶に残ったのは、主人公のパンダ君の師匠であるマスター・シーフーがお箸で器用につまんでいた点心だったのでした。

映画の中ではdumpling(餃子)と呼ばれていましたが、きっとこれは肉まん。映画を見終わってすぐに小籠包専門店の南翔饅頭店へ直行し、じゅわっ、はふはふ、おいし〜♪を堪能してきました。きょうもすごくしあわせだったな〜。

期待をうらぎらないチャーミングな映画でした。ジャッキー・チェンが監修したらしいアクション・シーンがとてもスピーディーで、かわいいだけでは終わらないキャラクターたちもいかにもDreamWorks。でも、いちばん記憶に残ったのは、主人公のパンダ君の師匠であるマスター・シーフーがお箸で器用につまんでいた点心だったのでした。

映画の中ではdumpling(餃子)と呼ばれていましたが、きっとこれは肉まん。映画を見終わってすぐに小籠包専門店の南翔饅頭店へ直行し、じゅわっ、はふはふ、おいし〜♪を堪能してきました。きょうもすごくしあわせだったな〜。

2008/07/27 (Sun) 『崖の上のポニョ』
今はニヒリスティックになるのが一番簡単な世の中なんですよ。誰でもそういうものを持ってるしね。それが実に浅かろうが深かろうが―多分大抵浅いだろうと思うんですけどね―そのニヒリスティックになったり、ヤケクソになったり、刹那的になるってことを、今、僕は少しも肯定したくないんですよ。たとえそれがどんなに自分の中にあってもね、それで映画を作りたいとは思わないんです。それは自分に対する敗北ですよ。自分の日常生活がどれほどバカげてて、もし自分の車に機関砲がついてたら周り中を撃ちまくりながら走ってるだろうと思っても。それをただ放出するためだけに作品を作るんじゃないんじゃないかと思います。…僕は描きたいものを描きたいですよ。そう思いませんか?
―養老孟司/宮崎 駿 『虫眼とアニ眼』
『崖の上のポニョ』を観に行きました。まだ観ていない方のために詳しいレビューは書きませんが、日本のどこかで起こったできごとのような、絵本の中のものがたりのような、ふしぎな現実感と非現実感のあるお話でした。
それを支えているのは、おそらく”絵”のたしかさ。精霊のような生き物や古代期のお魚のいる景色は明らかにファンタジーなのに、軽自動車でスピードを出したときにふわっと浮くあの感じとか、ポニョが走るときの体重の軽さ、ラーメンの熱さ、そういう五感での感覚が、とてもリアルに伝わってくるのです。ピクサーの疾走シーンも映画的な爽快感があってすきなのですが、風や重力をデフォルメしながら自然に描くジブリの技はほんとうにすごい。
自然にやさしいジブリ、現代社会に鋭く問題提起をするジブリ、生と死と愛の本質を語るジブリ、みたいにテーマやメッセージ性を求めるひとには「ジブリらしくなく」見えるのかもしれないけれど、「自然保護」がファッションになり、批判=鋭い意見、繊細な感性だと思い込んでいるひとが多い世界では、もっともらしいことを声を大にして語るよりも、かわいいお魚と男の子の恋をビジネスとして成り立つ娯楽映画にするほうが大変なのではないかとおもいます。
きらい、と言い続けるより、それでもすき、といい続けるほうが、つらいことも多いかもしれないけれど、きっとたのしい。私のことばや写真たちも、それでもすき、と伝えられるものだといいな。写真は1年前くらいのものに撮ったものですが、金魚さん。(暑くて外に出ないのでネタ切れ中)

―養老孟司/宮崎 駿 『虫眼とアニ眼』
『崖の上のポニョ』を観に行きました。まだ観ていない方のために詳しいレビューは書きませんが、日本のどこかで起こったできごとのような、絵本の中のものがたりのような、ふしぎな現実感と非現実感のあるお話でした。
それを支えているのは、おそらく”絵”のたしかさ。精霊のような生き物や古代期のお魚のいる景色は明らかにファンタジーなのに、軽自動車でスピードを出したときにふわっと浮くあの感じとか、ポニョが走るときの体重の軽さ、ラーメンの熱さ、そういう五感での感覚が、とてもリアルに伝わってくるのです。ピクサーの疾走シーンも映画的な爽快感があってすきなのですが、風や重力をデフォルメしながら自然に描くジブリの技はほんとうにすごい。
自然にやさしいジブリ、現代社会に鋭く問題提起をするジブリ、生と死と愛の本質を語るジブリ、みたいにテーマやメッセージ性を求めるひとには「ジブリらしくなく」見えるのかもしれないけれど、「自然保護」がファッションになり、批判=鋭い意見、繊細な感性だと思い込んでいるひとが多い世界では、もっともらしいことを声を大にして語るよりも、かわいいお魚と男の子の恋をビジネスとして成り立つ娯楽映画にするほうが大変なのではないかとおもいます。
きらい、と言い続けるより、それでもすき、といい続けるほうが、つらいことも多いかもしれないけれど、きっとたのしい。私のことばや写真たちも、それでもすき、と伝えられるものだといいな。写真は1年前くらいのものに撮ったものですが、金魚さん。(暑くて外に出ないのでネタ切れ中)

2007/09/23 (Sun) the vector
私の写真は、世界で起こっていることを、その場に行く機会のないひとにも見られるようにするための媒体です。展示を見てくださった方が、展示を見る前とまったく同じひとではなくなっていることを願っています。
−セバスチャン・サルガド 2000年3月29日、ニューヨーク
報道写真はあくまでも事実を報じるためのツールで、アートではないのだとおもっていました。その思い込みを覆す写真家に出会いました。セバスチャン・サルガドです。彼が1985年に撮ったシリーズ〈サヘル〉の一枚に、白い砂漠を背景に、枯れ木と少年が立っている写真があります。悲惨で空虚です。それなのに、すごく美しい。枯れ木が墨のストロークのようで、少年が鉄のようで、ほんとうに美しい。こんな写真を美しいと感じてはいけない、悲しみや憤りを感じなくてはいけないと自分に言い聞かせても、やっぱり美しいのです。生きる場所を追われた女性の足下にのびるベールの長さにも、難民キャンブに射す光にも、爆発の火花にさえ、映画のスチール写真のような完成された美しさがあります。美しさに捕えられて目を背けることができず、そのぶん悲しみの残像を放せなくなって、ちょっとしんどい思いをしました。サルガドだけの展示じゃなくてよかった。
私が行った東京都立写真美術館「キュレーターズ・チョイス」は10月8日まで。もっと心地よい写真を見たい方には、10月21日までの「鈴木理策:熊野、雪、桜」をおすすめします。
写真は彼岸花。炎じたて。

−セバスチャン・サルガド 2000年3月29日、ニューヨーク
報道写真はあくまでも事実を報じるためのツールで、アートではないのだとおもっていました。その思い込みを覆す写真家に出会いました。セバスチャン・サルガドです。彼が1985年に撮ったシリーズ〈サヘル〉の一枚に、白い砂漠を背景に、枯れ木と少年が立っている写真があります。悲惨で空虚です。それなのに、すごく美しい。枯れ木が墨のストロークのようで、少年が鉄のようで、ほんとうに美しい。こんな写真を美しいと感じてはいけない、悲しみや憤りを感じなくてはいけないと自分に言い聞かせても、やっぱり美しいのです。生きる場所を追われた女性の足下にのびるベールの長さにも、難民キャンブに射す光にも、爆発の火花にさえ、映画のスチール写真のような完成された美しさがあります。美しさに捕えられて目を背けることができず、そのぶん悲しみの残像を放せなくなって、ちょっとしんどい思いをしました。サルガドだけの展示じゃなくてよかった。
私が行った東京都立写真美術館「キュレーターズ・チョイス」は10月8日まで。もっと心地よい写真を見たい方には、10月21日までの「鈴木理策:熊野、雪、桜」をおすすめします。
写真は彼岸花。炎じたて。

2007/08/03 (Fri) 『レニーとおいしいレストラン』
ピクサーの最新作『レニーとおいしいレストラン』を観ました。トレイラー程度のことしか書きませんが、ネタバレOKだよという方のみ、反転でどうぞ。
この映画、主人公はねずみさん、舞台はパリのレストラン。ほのぼのと平和な映画かとおもっていたら、銃撃あり、カーチェイスあり、陰謀ありの、かっこいいアクション・ムービーでした。特に印象的なのが、レニー君の疾走シーン。スピード感があります。そして、視線の高さがねずみさんです。ゴジラのように巨大な人間の足、エッフェル搭のように高いテーブルの脚。その合間を毛やおひげをなびかせながら全力で走っていくレニー君の姿はとても危なげで、はらはらどきどきします。ねずみさん社会、人間社会のしがらみもちらほらと見えて、ピクサーらしい映画になっているとおもいます。(画像は数年前に旅行したパリ)

映画館が入っているビルで、鳩さんの夫婦をみました。おなじ柱の端と端に離れて座っているのですが、10分に1回くらい、どちらともなく歩み寄って毛づくろいをしあいます。そのあとは何もなかったかのようにまた離れて座ります。いわゆる、ひとりの時間も大切にできる、おとなのカップルとお見受けしました。
そこに現れたのが、からだの一回りちいさな鳩さんのカップル。おとなカップルの旦那さんにたちまち追い払われてしまいましたが、しばらく経ったら、わかいカップルの旦那さんが帰ってきました。大旦那さんに何回追い払われても、柱の隅に舞い戻ってくる若旦那さん。柱の蔭をときどき振り返っているので、見に行ってみたら、視線の先に若奥さんがいました。いわゆる、男にはひくにひけないときがある、という状況かとおもわれます。
アニメのねずみさんも大変そうでしたが、現実の鳩さんもなかなか大変だね。画像は若夫婦の挑戦どこ吹く風でいちゃいちゃしている大きい鳩さんご夫婦。

この映画、主人公はねずみさん、舞台はパリのレストラン。ほのぼのと平和な映画かとおもっていたら、銃撃あり、カーチェイスあり、陰謀ありの、かっこいいアクション・ムービーでした。特に印象的なのが、レニー君の疾走シーン。スピード感があります。そして、視線の高さがねずみさんです。ゴジラのように巨大な人間の足、エッフェル搭のように高いテーブルの脚。その合間を毛やおひげをなびかせながら全力で走っていくレニー君の姿はとても危なげで、はらはらどきどきします。ねずみさん社会、人間社会のしがらみもちらほらと見えて、ピクサーらしい映画になっているとおもいます。(画像は数年前に旅行したパリ)

映画館が入っているビルで、鳩さんの夫婦をみました。おなじ柱の端と端に離れて座っているのですが、10分に1回くらい、どちらともなく歩み寄って毛づくろいをしあいます。そのあとは何もなかったかのようにまた離れて座ります。いわゆる、ひとりの時間も大切にできる、おとなのカップルとお見受けしました。
そこに現れたのが、からだの一回りちいさな鳩さんのカップル。おとなカップルの旦那さんにたちまち追い払われてしまいましたが、しばらく経ったら、わかいカップルの旦那さんが帰ってきました。大旦那さんに何回追い払われても、柱の隅に舞い戻ってくる若旦那さん。柱の蔭をときどき振り返っているので、見に行ってみたら、視線の先に若奥さんがいました。いわゆる、男にはひくにひけないときがある、という状況かとおもわれます。
アニメのねずみさんも大変そうでしたが、現実の鳩さんもなかなか大変だね。画像は若夫婦の挑戦どこ吹く風でいちゃいちゃしている大きい鳩さんご夫婦。

2007/07/17 (Tue) 『不都合な真実』
アル・ゴア氏の「不都合な真実」の完全版を観ました。温暖化が何か、どこまで進んでいて、どういうインパクトがあるかということは、一般常識程度には知っていたのですが、最新のデータを見ることができ、改めて事態の深刻さを実感させられました。
同じくらい印象的だったのが、この映画で使われているコミュニケーション・テクニックでした。ひとを説得するテクニックのすべてが、ホディブロウのように仕込まれています。「頭」にはたらきかける、グラフや写真。「こころ」に訴えかける、個人的なエピソード。大きな数字は、身近な数字に。漠然とした現象は、具体的なできごとに。難しい理屈は、ユーモアや皮肉をきかせて、分かりやすいアニメーションに。反論には反論を。家族の健康や未来を気遣い、森林破壊や病気の子ども、災害のニュースが流れると心を痛める、ふつうのアメリカ人を揺さぶるメッセージが、見事に作りこまれています。それを支えるのが、ゴア氏のプレゼンテーションスキル。話すスピード、間の取り方、顔の表情のつくりかた、手やからだの表情のつくりかた、非の打ち所がありません。魔法をかけるように、話をしています。
アメリカは、生活環境も、文化的・宗教的な背景も、知識の質・量も、ほんとうにまちまちなひとたちが暮らす国です。だから、公の場で話すひとたちは、誰に向かって話すのか、何を話すのか、それを聞いたひとにどういう変化を起こしたいのかを、つきつめて考える。それをサポートしているコミュニケーションのプロフェッショナルがいて、メッセージのつくりこみから、目線の送り方、ネクタイの色まで指定している。伝えるということが、戦争を引き起こしたり、南極の氷のとけるスピードを変えるかもしれないほどのちからがあると、知っているからです。
日本には、まだそのちからを十分に使うことのできる政治家はいないとおもいます。理論の裏づけがないままインスピレーションだけで話したり、勢い余って失言をしたり、ひとの言葉を遮ってコンテクストに関係のない自説だけを繰り返したりと、きちんとしたプレゼンテーションやディスカッションができないひとが多い。これからは、たぶん少しずつ変わるのではないかとおもいます。そのとき、そのちからが悪用されないといいな。そして、聞くひとたちに聞くちからが備わっているといいな、とおもいます。地球に生きているひとりとしてだけではなく、ことばに関係の深いお仕事をする上で、考えさせられる映画でした。
画像は5月に撮ったバイカウツギ。青い空がみたいなあ…。

同じくらい印象的だったのが、この映画で使われているコミュニケーション・テクニックでした。ひとを説得するテクニックのすべてが、ホディブロウのように仕込まれています。「頭」にはたらきかける、グラフや写真。「こころ」に訴えかける、個人的なエピソード。大きな数字は、身近な数字に。漠然とした現象は、具体的なできごとに。難しい理屈は、ユーモアや皮肉をきかせて、分かりやすいアニメーションに。反論には反論を。家族の健康や未来を気遣い、森林破壊や病気の子ども、災害のニュースが流れると心を痛める、ふつうのアメリカ人を揺さぶるメッセージが、見事に作りこまれています。それを支えるのが、ゴア氏のプレゼンテーションスキル。話すスピード、間の取り方、顔の表情のつくりかた、手やからだの表情のつくりかた、非の打ち所がありません。魔法をかけるように、話をしています。
アメリカは、生活環境も、文化的・宗教的な背景も、知識の質・量も、ほんとうにまちまちなひとたちが暮らす国です。だから、公の場で話すひとたちは、誰に向かって話すのか、何を話すのか、それを聞いたひとにどういう変化を起こしたいのかを、つきつめて考える。それをサポートしているコミュニケーションのプロフェッショナルがいて、メッセージのつくりこみから、目線の送り方、ネクタイの色まで指定している。伝えるということが、戦争を引き起こしたり、南極の氷のとけるスピードを変えるかもしれないほどのちからがあると、知っているからです。
日本には、まだそのちからを十分に使うことのできる政治家はいないとおもいます。理論の裏づけがないままインスピレーションだけで話したり、勢い余って失言をしたり、ひとの言葉を遮ってコンテクストに関係のない自説だけを繰り返したりと、きちんとしたプレゼンテーションやディスカッションができないひとが多い。これからは、たぶん少しずつ変わるのではないかとおもいます。そのとき、そのちからが悪用されないといいな。そして、聞くひとたちに聞くちからが備わっているといいな、とおもいます。地球に生きているひとりとしてだけではなく、ことばに関係の深いお仕事をする上で、考えさせられる映画でした。
画像は5月に撮ったバイカウツギ。青い空がみたいなあ…。

