2008/06/02 (Mon) 『中学校国語2年』
「父っちゃ、帰ったってな?」
喜作は一級上の四年生だが、偉そうに腕組みをしてこちらの濡れたビールをじろじろ見ながらそういうので、
「んだ。」
と頷いてから、土産は何かと訊かれる前に、
「えんびフライ。」
といった。
…(中略)…
揚げたてのえびフライは、口の中に入れると、しゃおっ、というような音を立てた。噛むと、緻密な肉の中で歯が微かに軋むような、いい歯応えで、このあたりで胡桃味といっている得もいわれない旨さが口の中に広がった。
―三浦 哲郎『盆土産』/中学校国語 2年(光村図書)
子どものころ、一学期のはじめに国語の教科書が配られるのが楽しみでした。算数や社会の教科書は教科書でしかないけれど、国語の教科書は小説のあとに詩、説明文、随筆と、次に何がくるのかわからないところがすきでした。ページを捲る向きが他の教科書とは逆なのも、ちょっと特別な感じがしました。
そういうわくわくした気持ちは、学期が進んで「文中の『あの場所』とはどこを指すのか」とか、「ここでの作者の気持ちを答えなさい」とかいわれているうちに薄れてきてしまうのですが、それでも強烈に印象に残っている文章がいくつかあります。
冒頭の『盆土産』もそのひとつ。著者の名前も作品名も覚えていなかったのに、「えんびフライ」という言葉ひとつで、水風船が弾けるように記憶が飛び出てきました。教科書の余白にえびフライの落書きをしたこと。次のページにも、次の次のページにも落書きをして、踊るえびフライのぱらぱら漫画を完成させたこと。ともだちがお弁当の蓋を開けて、「あ、きょうはえんびフライが入ってる」といったこと。彼女がえびフライをかじる瞬間に、みんなで「しゃおっ」と擬音をつけたこと。
えびフライが盆土産になる時代の貧しさも、父親と離れて暮らす切なさも、方言のあたたかさも、お母さんに頼めばお弁当に冷凍食品のえびフライを入れてもらえる世代のわたしたちには実感できるわけがないのです。でも、「盆土産」のえびフライは、ほんとうにおいしそうに書かれていた。
国語という教科の役割は、名作をどう読むかを教えることよりも、名作に出会わせることにあるのだろうとおもいます。ほんとうに何かを持った作品なら、無理に読ませて感想文なんか書かせなくても、記憶に残るから。写真はえんびフライ、かじったら「しゃおっ」といいました。すきなときにすきなおかずを食べられる、おとなっていいね。

喜作は一級上の四年生だが、偉そうに腕組みをしてこちらの濡れたビールをじろじろ見ながらそういうので、
「んだ。」
と頷いてから、土産は何かと訊かれる前に、
「えんびフライ。」
といった。
…(中略)…
揚げたてのえびフライは、口の中に入れると、しゃおっ、というような音を立てた。噛むと、緻密な肉の中で歯が微かに軋むような、いい歯応えで、このあたりで胡桃味といっている得もいわれない旨さが口の中に広がった。
―三浦 哲郎『盆土産』/中学校国語 2年(光村図書)
子どものころ、一学期のはじめに国語の教科書が配られるのが楽しみでした。算数や社会の教科書は教科書でしかないけれど、国語の教科書は小説のあとに詩、説明文、随筆と、次に何がくるのかわからないところがすきでした。ページを捲る向きが他の教科書とは逆なのも、ちょっと特別な感じがしました。
そういうわくわくした気持ちは、学期が進んで「文中の『あの場所』とはどこを指すのか」とか、「ここでの作者の気持ちを答えなさい」とかいわれているうちに薄れてきてしまうのですが、それでも強烈に印象に残っている文章がいくつかあります。
冒頭の『盆土産』もそのひとつ。著者の名前も作品名も覚えていなかったのに、「えんびフライ」という言葉ひとつで、水風船が弾けるように記憶が飛び出てきました。教科書の余白にえびフライの落書きをしたこと。次のページにも、次の次のページにも落書きをして、踊るえびフライのぱらぱら漫画を完成させたこと。ともだちがお弁当の蓋を開けて、「あ、きょうはえんびフライが入ってる」といったこと。彼女がえびフライをかじる瞬間に、みんなで「しゃおっ」と擬音をつけたこと。
えびフライが盆土産になる時代の貧しさも、父親と離れて暮らす切なさも、方言のあたたかさも、お母さんに頼めばお弁当に冷凍食品のえびフライを入れてもらえる世代のわたしたちには実感できるわけがないのです。でも、「盆土産」のえびフライは、ほんとうにおいしそうに書かれていた。
国語という教科の役割は、名作をどう読むかを教えることよりも、名作に出会わせることにあるのだろうとおもいます。ほんとうに何かを持った作品なら、無理に読ませて感想文なんか書かせなくても、記憶に残るから。写真はえんびフライ、かじったら「しゃおっ」といいました。すきなときにすきなおかずを食べられる、おとなっていいね。

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