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2009/06/27 (Sat) 「続弾!問題な日本語」
お仕事で文章を書いたり、校正したりしていて、ふと違和感を感じることがあります。例えば、「会員はこのサービスをご利用いただけます」という表現。何かがおかしい。でも、言い換え表現がでてこない。もやもや。

そのもやもやの正体を「続弾!問題な日本語―何が気になる?どうして気になる?」が説明してくれていました。「ご利用いただけます」は、「利用してもらえる」の謙譲表現。主語は会員ではなく、会社が正しい。でも、

①会員は利用可能であること
②会員の利用は自分たちにとって恩恵であること
③会員に敬意を表すこと
④自分たちではなく会員のほうを話題の中心に置くこと
⑤強制や恩着せがましさを感じさせないこと

…などの意図を満たす適当な表現が他にない、というのです。 たとえば、「会員はこのサービスをご利用になれます」は、文法は正しいけれど②を満たさない。同じく「会員にこのサービスを利用していただける」は④、⑤を満たしません。すっきり!自分ではうまく説明できないことを、きれいに説明してもらえるのは、気持ちいいですね。かゆいところが掻けたきもちで、1日爽快でした。

さて、ここまでの文章で、日本語の表現として間違えている箇所があります。気づいた?

画像は平行して読んでいた、「オヤジ★ジェスチャー」。私の周りにはあまり典型的な「オヤジ」はいないので、役に立つことはなさそうですが、ちょっと和みました。日本だなぁ。

オヤジ☆ジェスチャー
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2009/06/25 (Thu) ゆらゆら、たほいや
以前は、ぼくは、何かができたとき、達成したときに、自分の可能性を感じていたんですよね。自転車が乗れるとか、何かをできるようになった瞬間に「オレって、すごいことができるかもしれない」と。子どもは、みんな、そうかもしれません。でも今は、自分がわからないことに遭遇するときや、知らないことに出会ったときに、「お、自分はまだまだいける」って思うんです。そこに、楽しみがある…。
―語り手 ICHIRO/聞き手 糸井重里 『キャッチボール ICHIRO meets you』


先月から今月にかけて、ちょっとお仕事で無理をしたのがたたり、
疲れるとどこからか現れる、ゆらゆらめまいに悩まされています。
電車に乗っても、ゆらゆら。寝ようとおもってベッドに横になっても、ゆらゆら。
ずっと船に乗っているみたいで、からだがごく軽い乗り物酔い状態です。

めまいが少し強めなときには、電車やベッドで本を読むと気分が悪くなります。
かといって、何もしないのも退屈。そこで、かわりの遊びをおもいつきました。

それは、知らないことばを教えてもらって、ものすごく真剣に考えること。
ひとりで「たほいや」をやっているようなもので、傍から見たらただの考え事なのですが、
私は考えに没頭したらとことんなので、ゆらゆら対策にはわりと効果があります。
眠れない夜に教えてもらうと、次の朝に調べるというたのしみができて、
眠る、起きるという、毎日のあたりまえの動作も、ちょっとうれしいのでした。

次の日が来ることがたのしみにできるって、しあわせだよね。
知らないことや分からないことが山ほどあるって、わくわくするよね。
私の無知や無力さを、くやしさからたのしみに変えてくれるともだち、ありがとう。

hydrangea
(私が知らなさそうな言葉をご存知の方、出題へのご協力をお待ちしています♪)

2009/06/23 (Tue) 遭遇
最近ちょっと寝つきが悪くて、たくさん本を読むようになりました。いつも同じ作家さんの本を読むのもつまらないから、図書館で文庫本が作家の名前別に並んでいる棚に向かう途中で、「きょうは『や』行の右から5番目の本を借りてみよう」と、そんなふうに本を選ぶことがあります。

きょうもそうやって借りた本を、お仕事帰りの電車の中から読み始めたのですが、開始10ページで何やら良い子には見せられない感じの場面になってしまいました。まぁ、いずれ何とかなるだろうと読み進めたものの、一向に傾向が変わらず、仕方ないので20~30ページくらいずつ飛ばして最後まで見てみたのですが、最後までそうでした。

…つくづく、ブックカバーをして読んでいてよかったとおもいます。あえてタイトルも作家名も書きませんが、あの本を何気なく文庫本の書架に並べている区立図書館は、度胸があるような気がします。明日は『さ』行、左から3番目でいきます。今度は面白い本が当たりますように。

lock'n rose

2009/06/15 (Mon) 眠れない夜のために、恋のおはなし
最近読んだ本の中の物語を2編かきとめておきます。
両方とも、登場人物が誰かに聞いたお話として語る物語。
どうして恋のお話って、悲しいんだろうね。

hydrangea

昔々まだ幼い姉弟が同じベッドで眠っていた頃
父親が話して聞かせた童話があった

”Mar・man"と彼はその主人公を呼んだ
”Mar・man"は朴訥な漁師だった

ある日彼は誤って人魚を捕らえ 漁師と人魚は恋に落ちる
漁師は人魚をつれ帰り 誰にも会わさず閉じ込めた

人魚は海を恋しがり ひととき海で泳ごうと 漁師の家を抜け出した
人魚が再び戻った時 漁師は怒って もう二度と 出られぬように閉じ込めた
人魚は漁師を愛したけれど いつかひからび 死んでいった

その時 漁師は 自分の足が 尾ひれに変わっているのを知った
人魚は毎日 漁師の食事に 自分のうろこを砕いてまぜた
人魚は 二人で海の底で 静かに暮らしたかったのだった
人魚になった漁師はひとり 深い深い海の底へと沈んでいった
―漆原友紀『Mar・man』

hydrangea

ずっと昔、ヘビは今のような姿じゃなかったんです。ヘビには手も足もありました。美しい長いたてがみもありましたし、しなやかな尻尾も持っていました。巻貝のような耳も、黒く濡れた瞳も持っていました。太陽を浴びると輝く金色の毛皮も、巻貝のような耳も、薔薇のつぼみのような白い乳房も持っていました。指先にはつややかで鋭い爪を持っていました。少しは人間に似ていたかもしれませんが、群青色の翼も持っていました。ヘビはいろいろな生き物の美しいところをたくさん持っていたんです。

ヘビはとても欲張りで、神様がこの世の生き物を作るとき、できるだけたくさんのものをくださいって頼んだんです。神様は気前よくヘビのいうことをきいてやりました。何と言ってもこれから世界が始まるというときですから、なるべく皆がしあわせになることを神様は望まれたんでしょうね。でもヘビは、欲しいものを全部貰ったはずなのに、それほど幸せだと思っていませんでした。たぶんあまりたくさんのものを持っていると、わからなくなってしまうんでしょうね。自分がヘビだっていうことがです。

ある日、ヘビはひとりの猟師に会いました。若くて美しい猟師でした。ヘビはその猟師が好きになり、猟師が貧しいことを知ると、自分のたてがみを切り落としてプレゼントしました。猟師はとても喜びました。でもしばらくするとたてがみを売ったお金はなくなって、また猟師はお腹をすかすようになったのです。ヘビは今度は、自分の尻尾を切り落としてプレゼントしました。尻尾は素晴らしい毛皮で覆われていましたから、仕立屋が高値で買っていきました。猟師はだんだん、自分からヘビに頼むようになりました。そうしてヘビは、美しい翼も、貝のような耳も、手も足も、乳房まで切り落として、次々と猟師に与えていったのです。

ヘビがとうとう今のような姿になると、猟師はもう、ヘビと会いたがらなくなりました。ヘビは手足のなくなった体で地を這いながら、猟師を追いました。どんなに追い払われてもつきまとうことを止めようとしませんでした。そのうち猟師だけでなく、あらゆる生き物がヘビを嫌うようになりました。神様もお怒りになりました。そこで「おまえはどうして、せっかく私が与えたものを失くしてしまったのか」と厳しい声でお訊ねになりました。するとヘビは言いました。「神様、私はあの人に会って、この世に生まれた喜びを知りました。私は神様からお預かりしていた翼や手足のおかげで、魂を貰うことができたのです。でもどうしてあの人はこの命まで求めてくれなかったのでしょう。私はそれが悲しくてなりません。」それを聞いた神様がどうされたかというと……どうされたと思いますか。

ぼっちゃんは、ヘビの抜け殻を見たことがありますか。神様はこれ以上、命まで投げ出すような愚かなことをさせまいと、猟師を忘れてしまうようおはからいになりました。そして改めて、命をまっとうするのが生き物の掟であると、きつく言い渡されました。ヘビは猟師のことを忘れました。悲しみは消えました。でもあるとき……風のない気持ちのいい日のこと、お日様にあたりながらうつらうつらとしていたヘビは、ふと、自分が昔とても幸福だった、ということを思い出すんです。そして猟師のことは忘れているのに、誰かに何かを与えたい、という気持ちに駆られました。けれど誰も自分を求めてなどいないし、与えるものとてないのです。ヘビはむなしさに身悶えしました。息苦しさから抜け出そうと身をくねらせているうちに、体を覆っていた皮がすっかり剥がれてしまいました。脱いだばかりのその皮を見ていると、ヘビにはまるでそれが以前の、幸福だった頃の自分のように思えてくるのでした。懐かしいような切ないような気持ちになりましたが、胸にぽっかりあいていた穴は埋まったように思われました。

ヘビが抜け殻を残すようになったのは、それからです。たとえば小さな子供が遊んでいて、草叢の中にヘビの抜け殻を見つけるとするでしょう。子供がそれを持ち去ると、ヘビは昔の恋を忘れたまま、ただささやかな捧げものをしたことを喜んでいるんですよ。
―湯本香樹実『マジック・フルート』

2009/06/01 (Mon) lies & truth
年齢が大人になってもうずいぶん経ちますが、
建前やお世辞を口にするのが、いまだに苦手です。
たとえばショッピングに行って、ともだちが試着した服が似合ってなかったら、
「かわいいね~!何着ても似合うね!」とは、私はいえないです。
そういったらともだちが喜んでくれるかもしれないと想像はできても、
それは、ともだちにも、私自身に対しても、嘘だとおもうから。

私のこういう”やさしくなさ”が原因で遠ざかってしまったともだちもいます。
私が”気遣いのできるやさしい子”だと勘違いして近づいてきて、
勝手に傷ついたり失望するひとも、(なぜか)絶えません。
でも、そういうひとたちに嘘をついてまで好かれたかったとは、どうしてもおもえない。

心の底から「かわいい」とおもって「かわいい」とことばにするときも、
お世辞や気遣いで「かわいい」とことばにするときもあるのだとしたら、
そのひとのことばが、信じられなくなりませんか。

「かわいい」といわれるたびに、「これは本心かな、義理かな」と
悩まなければならないとしたら、しんどくありませんか。
信じられないひとと、なかよしでいられますか。

私はひとより体力がありません。月25時間の残業でよれよれです。
そんなふうだから、できれば、たのしいほうに体力を使いたい。

ともだちのことばや態度の裏を読んで、疑ったりする体力があったら、
そのひとといっしょにたのしくなるほうに体力を使いたい。

納得できない仕事を納得しているふりをして進める体力があったら、
上司に「納得できません」といって、納得できるまで戦って、
たのしく仕事できるようにするほうに体力を使いたいんです。

私が「かわいい」と、ことばにするときは、かわいいとおもっているとき。
それはそのことばを口に出す私自身と、それを受け取るひとたちへの、
精一杯の誠実さのつもりなのだけれど、それではだめなのかな。
…みんな、嘘をつかれても、傷つかないほうがいいの?

shinagawa pigs

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はなび

Author:はなび
犬、紅茶、写真、美術館、お風呂、本、日本語がだいすき。2006年3月から、EOS Kiss DNと一緒にたのしくお散歩をしています。文章と写真は関係がないことが多いです。写真だけをまとめてご覧になりたい方は、hanabi days on flickrへもどうぞ。

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