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2006/04/26 (Wed) 「アフターダーク」
村上春樹の書き下ろし長編『アフター・ダーク』を読みました。この作品、ハルキストの知人から「村上春樹らしくない失敗作」と聞いてしばらく読むのを控えていたのですが、予想よりすんなりと読めました。ただ、従来のファンが違和感を覚える気持ちも分かる気がしました。

その理由の一つは、おそらく視点の遠さ。小説の中で、作者は、通常登場人物の一人として登場するか、「神」として物語を俯瞰で眺めるものです。でも、この作品では、作者は登場人物でも「神」でもない。登場人物を撮っているカメラの映像を、読者と一緒に見ている傍観者なんです。それが端的に分かるのが次のような表現。

私たちの視点としてのカメラは、細部の観察を終えるといったん後方に引き、部屋全体をあらためて見渡す。そしてどうしたものか気持ちを決めかねるように、しばらくのあいだその広い視野を保持している。視線はとりあえずそのあいだ、ひとつに固定されている。含みのある沈黙が続く。しかしやがて、何か思い当たったことがあったらしく、部屋の片隅にあるテレビに目をとめ、そちらに向かって接近していく。黒い真四角なソニーのテレビだ。

まるで映画の脚本のト書きのようです。対象物との距離も、そこに視点を留める時間も、クロースアップから引きに入るタイミングも、セットの小道具も全て書き込まれている。これは映画のノベライゼーションではよく見かけても、村上春樹作品(特に初期作品)にはなかった手法だとおもわれます。

もうひとつの理由は、物語のさわやかさ。今までの村上春樹の作品は、一見普通の世界を描いていても、どこか心をざらざらさせるようなところがあったようにおもいます。『ノルウェイの森』の井戸の深い闇とか、『スプートニクの恋人』のスプートニク号の窓から見える宇宙の虚しさとか、『海辺のカフカ』の猫の惨殺シーンとか。この世にあってはいけないものを見てしまったような、だから最後まで読まずにはいたたまれないような、怖さがあったようにおもうのです。この作品からは、そういう「いけない怖さ」があまり感じられなかった。読んでいる途中で時計を見て、ああもう晩い、栞を挟んで残りは明日読もう、と安心しておもえる余裕が残されていた。怖くて朝までかかって全部読んでしまった『ねじまき鳥クロニクル』の頃と比べると、怖くなくなったな、と感じてしまうのです。

それでも、心に残った言葉は、風邪で寝込んでいたときに読んだどの本よりも多かったです。少し長いですが、印象に残ったパッセージの中から、記憶に関するものをふたつ、書き記しておきます。

高橋は微笑んでマリを見る。「つまりさ、一度でも孤児になったものは、死ぬまで孤児なんだ。よく同じ夢を見る。僕は七歳で、また孤児になっている。ひとりぽっちで、頼れる大人はどこにもいない。時刻は夕方で、あたりは刻一刻と暗くなっていく。夜がそこまで迫っている。いつも同じ夢だ。夢の中では、僕はいつも七歳に戻っている。そういうソフトウェアってさ、いったん汚染されると交換がきかなくなるんだね」
 マリはただ黙っている。
「でもそういう面倒なことは、普段はなるたけ考えないようにしているんだ」と高橋は言う。「いちいち考えても仕方ないことだからさ。今日から明日へと、ごく普通に生きていくしかない」
「たくさん歩いて、ゆっくり水を飲めばいいのね」
「そうじゃなくて」と彼は言う。「ゆっくり歩いて、たくさん水を飲むんだ」

◇◇◇

 コオロギはテレビのリモコンをまだ手にもったまま、そこに立っている。
彼女は言う、「それで思うんやけどね、人間ゆうのは、記憶を栄養にして生きていくもの何やないかな。その記憶が現実的に大事なものかどうかなんて、生命の維持にとってはべつにどうでもええことみたい。ただの燃料やねん。新聞の広告ちらしやろうが、哲学書やろうが、エッチなグラビアやろうが、一万円札の束やろうが、日にくべるときはみんなただの紙きれでしょ。火のほうは『おお、これはカントや』とか『これは読売新聞の夕刊か』とか『ええおっぱいしとるな』とか考えながら燃えてるわけやないよね。火にしてみたら、でもただの紙切れに過ぎへん。それとおんなじなんや。大事な記憶も、それほど大事やない記憶も、ぜんぜん役に立たんような記憶も、みんな分け隔てなくただの燃料」
 コオロギは一人で肯く。そして話を続ける。
 「それでね、もしそういう燃料が私になかったとしたら、もし記憶の引き出しみたいなものが自分の中になかったとしたら、私はとうの昔にぽきんと二つに折れてたと思う。どっかしみったれたところで、膝をかかえてのたれ死にしていたと思う。大事なことやらしょうもないことやら、いろんな記憶を時に応じてぼちぼちと引き出していけるから、こんな悪夢みたいな生活を続けていても、それなりに生き続けていけるんよ。もうあかん、もうこれ以上やれんと思っても、なんとかそこを乗り越えていけるんよ」

―村上春樹『アフター・ダーク』

comment

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2006/04/27 02:51 | | [ 編集 ]

コメントありがとうゴザイマスm(_ _)m
あせらずゆっくり体調をもどして、また写真見せてくださいね楽しみにしています^^
2006/04/27 15:14 | URL | カーボー [ 編集 ]

どんな意外な作品も、失敗作も、それを書かなければならなかった理由が作者にはあって、そんな必然性が解ければ、やっと作者に追いついたかな、という感じをぼくはもちます。
「村上春樹らしさ」なんて、村上春樹本人にとっては関係ないし、「らしさ」を壊すことが創造だとおもいます。
とにかく、村上春樹の作品はあまり論じられないし、村上春樹にはちゃんとした位置がない、位置なんて読者が決めるものだというのなら、位置を必要としない読者層に支持されているということかもしれないですね。
印象的で、いい感想だとおもいました。
2006/04/27 21:28 | URL | Close [ 編集 ]

>カーボーさん
コメントありがとうございます。風邪がぶり返してすっかり
気分が凹んでいたところだったので、お気遣い、嬉しいです。
GW中には風邪を治してカメラとお散歩に出たいです。
浅草にも行きたいなあ…。

>Closeさん
コメントありがとうございます。
「どんな作品も、それを書かなければならなかった理由がある」という
コメント、分かる気がします。村上春樹ほど”売れている”作家になると、
おそらく読者が考えている「村上春樹らしさ」が何か、よく分かっている
だろうとおもうのです。きっと、この作品も従来の「らしさ」を裏切るものだと
知りながら書いたはず。それでも書きたかったから、途中で「らしくない」と
いう声が自分の耳に届くであろう連載ではなく、書き下ろしにしたのでは
ないかという気がします。

時が流れ、社会が変わり、書き手も読み手も歳を重ねていく中で、
作品だけが変わらないというのはかえって不自然だとおもうのですが、
世の中にはそう考えない人もたくさんいる、ということなのでしょうね。
表現者としてご飯を食べていくのは大変だろうな、と今更ながらに
おもいました。
2006/04/27 23:57 | URL | はなび [ 編集 ]









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犬、紅茶、写真、美術館、お風呂、本、日本語がだいすき。2006年3月から、EOS Kiss DNと一緒にたのしくお散歩をしています。文章と写真は関係がないことが多いです。写真だけをまとめてご覧になりたい方は、hanabi days on flickrへもどうぞ。

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