「はいっ!」
バリカンに三ミリの刃をセットし、スイッチを入れる。右手に振動が走った。目の前には渋ることもなく頭を差し出す野ブタ。なんか野ブタには悪いが笑えてきた。なんでこいつ俺に頭刈られてるんだ?考え出したらどうにも笑えてきて、バリカンもヴゥーンという音を立てて刈る気満々だし、なんかホント笑えてきた。なに、この図。ダメだ。こいつは切実なんだ。真剣に取り組まなければ。俺はそう思いなおして急に真面目な顔になると、やや姿勢を低くして、記念すべき一刈り目の狙いを額に定めた。ついにバリカンが額から投入され、ジジジという音とともに細かい髪が舞い、真っ黒でちょっと脂っぽい塊がぽとっと新聞紙の上に落ちた。おぉ……もう後には引き返せない。
―白岩 玄『野ブタ。をプロデュース』
『ライ麦畑でつかまえて』の登場人物に、ストラドレイターというひとがいます。ホールデン・コールフィールドのルームメイトである彼は、要領良く勉強をこなし、デートへ出かけ、白い歯を見せて笑います。レポートをホールデンに書かせていることも、シェイビングクリームまみれの剃刀ものぞかせず、すっぽりと着ぐるみを被るように、外向きの自分を被って。
『野ブタ。をプロデュース』は、現代日本の着ぐるみのお話。主人公であり語り手でもある桐谷修二は、ともだち付き合いも勉強もそつなくこなし、人気者「桐谷」の着ぐるみを被って退屈な高校生活を送っています。そこに現れたのが転校生、信太=野ブタ。苛めを受ける野ブタに弟子入りを申し出られ、桐谷は考えます。これは自分の着ぐるみをつくる力を試す好機かもしれない。桐谷による、野ブタのプロデュースが始まります。
非現実的な設定にみえて、リアルなストーリーです。プロデュースは今や日常茶飯事。プリクラでの決め顔、カラオケでの勝負歌、合コンのモテ服、面接での自己PR。「自分らしく」「ありのままで」あることよりも、嫌われず争わずそつなく生きるほうが「楽」で「得」であることを、若い世代ほど肌で知っている、そんなリアリティが毎日の中にあります。
新しい動きではありません。むしろ日本古来の”和”の文化への回帰にも見えます。その根底にあるのは、察し、そして甘え。相手の望むことを「察し」、それを履行しておけば、受け入れられるだろうという「甘え」です。それは「お利口にしていればママは可愛がってくれる」と考える子どもの心理と、さしてかわりのないものです。
しかし、察しは自分の推論でしかなく、ほんとうに相手の望むものとは限りません。甘えは自分の期待であり、相手との約束ではありません。だから、桐谷は満たされません。着ぐるみが「成功」すれば周りのひとたちの単純さを笑い、その裏で彼は叫びます―どうして誰もほんとうの僕に気付かないの。「失敗」すれば慌てふためき、その裏で彼は叫びます―どうしてお利口にしたのに愛してくれないの。
桐谷の叫びは、届くことがありません。口に出さないから。相手が「察し」てくれることを期待し、「甘え」ているから。その姿は、根拠のない自己憐憫に溢れています。「ほんとうの僕」を見てほしいなら、着ぐるみを脱げばいい。相手が何を望むかを知りたいなら、聞けばいい。愛してほしいなら、愛してほしいと伝えればいい。着ぐるみを被りたいなら、とことん被ってもいい。どんな着ぐるみを被るのも、着るひとの自由。脱ぐのも自由。ただ、それだけのことなのに。
着ぐるみを着た「桐谷」と「野ブタ」の行く末は、本でどうぞ。
画像は、ありのままの私を見てくれるともだちがくれた中国茶。キレイに咲きそうなお茶だったので、キメキメショットを目指しました。いかがでしょうか、オーディエンスの皆さま?

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野ブタ。をプロデュース
野ブタ。をプロデュース}野ブタ。をプロデュース(のブタ。をプロデュース)は、白岩玄作の小説、またはそれを原作としたテレビドラマ作品。2005年10月〜12月まで(日本テレビ系)でドラマ化された。亀梨和也・山下智久のW主演。堀北真希の出世作としても知られる。概要こ... //あやのの日記 2008/01/09 06:54
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