2017・04

<< 03 1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/17/18/19/20/21/22/23/24/25/26/27/28/29/30/ 05 >>

--/--/-- (--) スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2009/12/12 (Sat) 美しいという現実
サルガドは写真の構図にあまりにも捉われすぎている。彼は苦しみに歪む被写体に”優美さ”や”美しさ”を見出そうとする。写真の中で悲劇が美化されていることは、究極的には、私たちから写真に写っているものを体験する積極性を奪っていく。何かに美的要素を付加するということはそれを目撃する人の感情を麻痺させる最も手早い方法なのだ。美は賞賛を引き起こしても、行動の引き金にはならない。
―イングリッド・シスキー/ニューヨーカー誌(1991)


1年以上前、1枚の写真に衝撃的な出会いをしました。

salgado
湖があったファギビンヌ湖地区。
食糧と避難所を求めて町外れまで砂漠を横断する遊牧民たち。マリ、1985


住む場所を追われて、針金のような細い脚で歩く子どもたち。雪のように白い画面に、墨のストロークのように伸びるヴェール。それは、他の報道写真と同じくらい凄惨であると同時に、その凄惨さを一瞬忘れて見とれてしまうほど美しい写真でした。

その印象は、最終日のきょう、ようやく観にいくことができた、セバスチャン・サルガドの「アフリカ」展でも変わりませんでした。飢餓。旱魃。難民。病気。埋葬されようとしている子どもの死体。写し取られているものは決して心地よいものではないはずなのに、美しくて美しくて、目をそらすことができないのです。

サルガドの写真の中では、地雷で片足を吹き飛ばされた女性が明るく笑っていました。大量虐殺をして投獄されている男性がふんわりとほほえんでいました。それは私たちが日本で想像する”かわいそうな”地雷の被害者や”冷酷な”大量虐殺者の表情とはかけ離れているけれど、彼女や彼というひとの、生きている人間の姿には違いないと感じられるものでした。

人間はたぶん、100%かわいそうになったりはしない。自然はたぶん、100%醜くなったりはしない。サルガドの写真を現実の美化だというなら、寄付を募るための“かわいそうな”写真は、奪われても歪められても数%残された美しさを無視した“醜化”ではないのかな。

きょう、展覧会の会場には長い長い行列ができていました。写真の前で足を止めて「子どもの足が棒みたいだね」「こんなに難民がいるんだね」と隣にいるひとと話しているひとたちも、たくさんいました。もしサルガドの写真が美しくなく、ただ痛々しく悲惨なものだったとしたら、こんなにたくさんの人が来て、観て、目を止めて、ことばにすることは、あったのかな・・・。

私は、どんな過酷な状況の中でも、生きようとする人間の尊厳を撮っているのだ。
―セバスチャン・サルガド

comment









ブログ管理人にのみ表示を許可する


trackback

trackback_url
http://roverandom.blog52.fc2.com/tb.php/733-9ab55129

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

profile

はなび

Author:はなび
犬、紅茶、写真、美術館、お風呂、本、日本語がだいすき。2006年3月から、EOS Kiss DNと一緒にたのしくお散歩をしています。文章と写真は関係がないことが多いです。写真だけをまとめてご覧になりたい方は、hanabi days on flickrへもどうぞ。

ブログ、flickrに掲載されている画像の無断転載はご遠慮下さい。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク

このブログをリンクに追加する



www.flickr.com
This is a Flickr badge showing public photos from hanabi.. Make your own badge here.

ブログ内検索

PopupFlickr Plus

Flickr

選択ワード機能:
developed by 遊ぶブログ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。